イチオクのプロフィール

はじめまして!
イチオクと申します。
中学生の息子と小学生の娘がいる2児の父です。
今は東京に住んでいますが産まれも育ちも広島。
それなりに勉強して、それなりにヤンチャして広島の大学を卒業しました。
・・・って学生時代を簡単にまとめすぎ???
でも学生時代に関してこれと言って何か伝えれそうなことがないんです。
勉強を人一倍頑張ったわけでもなく、スポーツに思いっきり打ち込んだわけでもなく、
でもこの退屈でなにも成し遂げれなかった学生生活が僕の社会人生活に大きな影響を与えます。
目次
大学を卒業して佐川急便に就職
社会人1年目は佐川急便広島支店に就職しました。
何で佐川急便に就職したかというと、
「特にやりたい事はないけど、とにかく認められたい!」
という承認欲求だけは人一倍強かったから。
当時の佐川急便は、
・お金を稼ぐなら女は風俗、男は佐川急便
・日本で一番キツい仕事はマグロ漁船か佐川急便
・佐川急便3年勤務は慶応卒と同じレベルの経歴
冒頭でも触れたようにパッとしない学生生活を送った僕は、せめて社会に出たら自分が何者なのか証明したいという気持ちが人一倍強かったのです。
なので超過酷な環境だと噂される佐川急便で自分を試してみたいという気持ちがありました。
当時の佐川急便は中卒でも前科持ちでも採用されるような時代だったので面接試験は余裕で合格。
佐川男子として僕の社会人1年目はスタートしました。
それほどでもなかった佐川急便
佐川急便といえば、和民の渡邉 美樹会長やソフト・オン・デマンド元社長の高橋がなりさんなど、佐川急便で大金を稼いで自分の夢を叶えるという、いわゆる「佐川ドリーム」が有名でした。
昭和のバブル期は、「睡眠時間5時間で休みなしで働き続ける」という事を現実にやっていたらしく、月収100万オーバーなんて人はザラだったらしいです。
でも僕が入社した時期は、佐川急便がオラオラだった時代から普通の会社になっていく分岐点、で佐川オラオラ時代は終焉を迎えつつありました。
とはいえ、佐川オラオラ時代からずっと働いている癖のある先輩に怒鳴られたり、夏場の超暑い中クーラーなしのトラックに乗らされたり、毎日4tトラック満車になるまで集荷したりで入社したての頃はそれなりにしんどかったです。。
でも「認められたい」という気持ちだけは誰よりも強かったので、自分の管轄エリア内の顧客に毎日営業をかけて荷物を持って帰りまくっていました。
その結果、成績はチーム内で常に上位キープ。
入社して1年ぐらい経った頃には注目される存在になっていました。
そんなこんなで、在籍2年を過ぎた頃には離職率がかなり高かったことも後押ししてポジションは中堅に。
成績も良くて立場も上がってくる。
そうすると上司や先輩から何も言われないようになってきました。
何も言われなくなるのは一見いいことのように思いますが、認められたい一心で仕事に取り組んでいた僕としては何か物足りなさを感じる。。
しかもこの頃の佐川急便は会社をあげて普通の会社になろうとしていたので、「朝早く来て荷積みして夜遅くまで集荷する」といった今まで褒められていたことをやると逆に注意されるようになりました。
人一倍やりたいけどやれない。
そんな環境で仕事をしていくことに日々に違和感を感じ始めていました。
佐川急便を辞めマネーの虎の会社へ
積み荷をして配達して集荷して荷下ろしをして1日が終わる、そんな坦々と過ぎていく日々。
「俺はまだこんな所で終わる人間じゃない。」という気持ちが日に日に強くなっている自分がいました。
そして佐川急便に在籍して3年目の年。ついに転職する決意をしました。
なぜ在籍3年で転職を決意したかというと、在籍3年目から退職金がもらえたという事と、何事も始めたら3年は継続するという自分の中での決まり事があったからです。
さぁ退職すると決まったら転職先リサーチです。
この頃も「こういう仕事をしてみたい」ということが全くなかったので、何を軸して転職先を決めようかをまず考えました。
色々考えた挙句、
佐川急便は「どんな会社か」で選んだから、今度は「魅力的な社長が経営している会社」に就職しよう。
イチオク
という結論に至りました。
(このころはまったく独立志向はなく会社に入ってのし上がりたいという気持ちしかありませんでした。)
まずはAmazonで経営者が書いた本をしらみつぶしにクリックし、内容紹介やレビューでグッときた本を
片っ端から購入。
当時はネットベンチャーが一世を風靡していたので、購入した本はサイバーの藤田さん、ホリエモン、はてな創業者の近藤さんなどネット系の経営者が多かったと思います。
そんな中、なぜか僕の中でビビっとくる本が一つありました。
当時小林事務所という会社を経営していた小林敬さんの本です。
創作料理のパイオニアとして「庵」というおしゃれな業態を全国展開していて、斬新は発想と先進的な思考で時代の寵児として世間を賑わしていました。
超人気深夜番組だったマネーの虎に出演していたり、ゴチバトルに出演していたのも後押ししていたと思います。
動画見てもらうとわかるんですけど、ムッチャ怖いんですね。。
今だったらネットでボロカス叩かれるだろうし、はっきりいって訴えられるレベルです。。
なんでそんな危険人物が書いた本にビビっときたのか。
恐らくこの動画だったと思うのですが、当時人気番組だったスーパーテレビ情報最前線という番組で小林さんの会社が取り上げられていて「なんかすごい会社だなぁ」という記憶が頭の片隅に残っていたからだと思います。
学生の頃に焼肉屋でバイトしていた経験があるのですが、(嫁とはそのバイトで出会いました)そこの社員の人が体を酷使して働いている姿をずっと見ていたので絶対に飲食で働くのはヤダな思ってたんですけど、まさか自分が飲食企業で働こうと思うとは。。 「この本と出合ったのは何かの縁だ。もーこの人の会社に転職するしかない!」
そうと決めたらネットで小林事務所のホームページを穴があくほどチェック。
採用情報を見ると、どうやら中途採用もやっているとのこと。
その日に履歴書を書いて小林事務所の総務部に送りました。
1週間後ぐらいだったかな?
総務の人から電話がきて「面接したいので来てください」とのこと。
翌週、小林事務所で面接を受ける事になりました。
マネーの虎の面接
小林事務所は大阪と兵庫の県境にある川西という町にあったのですが(キンコン西野さんはこの町の出身です)当日、新幹線にのって新大阪まで向かいました。
この時のドキドキ感は今でも覚えています。
「何を聞かれるんだろう」「どんな人が面接してくれるんだろう」
4時間ぐらいの道のりの中、ソワソワソワソワしていました。
そしてあっという間に小林事務所に到着。入り口にあった内線で面接を受けに来た旨を伝えると、応接室で待つように言われました。
しばらくすると秘書らしき美人な女性が部屋に入ってきて
社長が面接されるそうなので、別の部屋でお待ちください♡
美人秘書
と言われ、おしゃれなお香の香りがする部屋に通されました。
「へー。社長が面接するんだー。ふーん。」
「ん???へっ!?社長ってあの小林社長!!!???」
「やばーーーーい!!!」
まさか小林社長本人が直々に面接してくれるとは。
これは後から聞いた話なのですが、佐川急便を3年勤めたやつが広島からはるばる面接に来ることを聞いた小林社長が僕に興味を持ったらしく、その時たまたま時間が空いていたことも重なり直接面接することになったそうなのです。
(のちに小林事務所に入社してから上司や先輩に「なんでイチオクだけ社長面接やねん!」と嫉妬されましたが。。)
お香の香りがする部屋に通されて、かれこれ45分。
まだ来ない。。
「ぐぬぬ・・さすが小林社長。こんなにも平気で待たすとは・・」
と思いながらも、テンション下げないように腕立て伏せをして気持ちを高めながら待ちました。
それからさらに30分。。
美人秘書が先に部屋に入ってきたあと、それに続いて小林社長が部屋に入ってきました。
やっと面接開始!
小林社長と対面した僕は度肝を抜かれました。
人生の中で、人と対面した時にオーラを感じ、存在だけで圧倒されたのは後にも先にも小林社長ただ一人です。
それぐらいカリスマ性がありました。
早速面接が始まり、その中でいくつか質問を受けたのですが、中でも一番記憶に残っているのは、
お前は、うちに入社したらいくらぐらい稼ぎたいんや?
小林社長
面接において「会社に入って何をしたいのか」という質問はよくあると思いますが、「いくら稼ぎたいのか」という質問は中々されることはないと思います。
まさかそんな質問されると思っていなかったので、勢い余って「1億稼ぎたいです!」と言いました。
その言葉を放った瞬間、横に座っていた美人秘書が「ぷぷっ」といった顔で半笑いになったので、チョット恥ずかしくなったのですが、小林社長はこう続けました。
イチオク、1億稼ぐには月いくら稼いだらええかわかるか?
約800万や、わしですらそんなもろとらん。そら難しい話や。
せやけどな、イチオク、1億稼ごうとおもわんやつ、1億稼ぐと人に言えん奴は絶対に1億稼ぐ事はできんのや。
小林社長
さすが飛ぶ鳥を落とすかの如く飲食業界でのし上がり、1代で年商60億の会社にまで育て上げた人の言う事は違います。
この言葉で僕の心は完全にもっていかれました。
「絶対小林社長のもので働きたい!」
そう思った僕は自分の気持ちを全面に出す事に成功し、無事採用してもらう事になりました。
晴れてマネーの虎の会社に入社!広島⇒大阪へ
小林事務所に入社してからすぐに営業部に配属され、業態販売の営業に携わったり飲食店の現場に入ったりするなど多忙な毎日を送りました。
マネーの虎のもとで働いている社員はさすが仕事ができる人ばかり。
僕は佐川急便しかしらない田舎者だったので毎日のように上司に怒られていました。
「俺ってこんなに仕事できないやつだったんだ。。」と自己嫌悪に苛まれる日々。。
とはいえ仕事ができなかったぶんスポンジのように知識を吸収できたし、ゼロからのスタートだったので伸びしろも大きく、自分が成長できているのを肌で実感する事ができていました。
小林事務所でシゴかれたことで僕のビジネススキルが各段に上がったことは間違いありません。
会社の雲行きが怪しくなる
入社して2年が過ぎたころ。
会社は思わぬ方向に向かっていきます。
この頃の小林事務所は、自社の運営と並行してレストランや結婚式場などが入った複合施設の運営も行っていました。
聞いたところによると30億ぐらい投資した事業だったらしく、小林事務所としてはかなり勝負に出た事業投資だったみたいです。
僕はそっちの事業には一切関わっていなかったので詳しい経緯はわからないのですが、投資額に対して集客がうまくいかなかったようで、開園から半年余りで閉館に。
そのあおりを受けて小林事務所本体の財務状況も悪化し、倒産寸前にまで追い込まれてしまいました。
これにより小林事務所は身売りせざる負えなくなり、売却交渉で好条件を提示したシダックスに買収されることになりました。
会社が危ないという噂は耳には入っていたけどまさか本当に買収されるとは。
買収後は社名が変更になり、小林社長は代表取締役の座を退くことになりました。
憧れた小林社長が社長じゃなくなり小林事務所の名前も変わる。
小林社長にホレて広島を出てきた僕としては、もはやこのまま会社に残る意味がなくなり、次に進む道を模索し始めていました。
この頃の僕は独立志向が高かった小林事務所の社員に囲まれていたこともあり、独立を視野にいれた会社に転職しようと考えるようになっていました。
人との出会いで、人生ってホント大きく変わるんだなぁと改めて思います。買収を機に独立する事を決意する
独立を視野にいれて転職するなら今までで学んだことを活かせる飲食企業にしようということで、飲食系求人雑誌をくまなくチェックしていきました。
そこで目に留まったのが某飲食企業が出していた「独立支援制度」の求人。
(フランチャイズ企業なので社名は伏せておきます^^)
よく読んでみると、どうやら3年間の店舗研修を経てしっかりとした結果を残す事ができれば、その会社が運営する業態で独立させてくれるとのこと。
しかも独立するときは資金や人材等もサーポートしてくれる。
お金も人脈のない僕にとってはうってつけの制度でした。
僕はコレと決めたら曲げないタイプなので早速この会社に履歴書を送付し面接を受けることにしました。
この頃の僕は小林事務所で生き抜いた自信と、独立するという確固たる目標があったので勢いだけはハンパなかったです。
もちろん面接は一発合格し、入社後すぐ店舗へ配属となりました。
目標を持った僕は無敵モード
目標を持った人間のパワーというのは恐ろしいもので、その時の僕はどれだけ働いても全く苦ではなく、結果を残すためだったら苦労は惜しみまない最強戦士と化してました。
周りの社員はサラリーマン根性むき出しの人ばかりだったので、無敵モードに入っている僕に適うはずもなく。
入社半年も経たずして、あっという間に注目店長として君臨するまでになりました。
それから3年の月日が経ち・・
何処の店舗に配属されても圧倒的結果を残したことが評価され、直営店の1つを譲り受け、晴れて独立させてもらうことになりました。
ついに一国一城の主になれる。
この時初めて、努力をすれば本当に報われるんだなという事を強く実感しました。
晴れて独立!通帳の残高がみるみるうちに増えていく
通常、飲食店を開業するとなると、物件を取得し、店舗施工を行い、求人募集をし、ようやくオープンにまでこぎつけるという流れになります。
その後、販売促進を行いお客さんが来てくれるのを待つ。
もちろんそんな簡単にお客さんなんて来ないので、オープンしたての店舗は数ヵ月赤字運営を強いられます。
これが「飲食店の50%が2年以内に閉店する」と言われる大きな理由で、キャッシュフローが回らなくなってしまいます。
僕の場合、売り上げなどの基盤が整っている直営店をそのままもらえたので、初月から利益が出る状態からのスタート。
独立当初は休みなしで毎日現場に立っていたのでご飯代以外でお金を使う事もなく。
閑古鳥が泣いていた僕の通帳の残高は、みるみるうちに景気が良くなっていきました。大金をつかみ価値観が大きく変わった
独立後も店舗の売り上げは順調に伸びていき、独立1年目にして年収1000万を超えるまでに。
お金をつかんだらもっと豪遊したり高価な物を買ったりするかなぁと思っていたのですが、自分が金持ちになったという実感はあまりなく生活自体はそこまで変わりませんでした。
それよりも一番変わったのは自分の価値観です。
具体的にどのように変わったかというと、
・ギャンブルを全くしないようになった
・過去の自分はなんて小さい事に縛られていたんだろうと気付いた
・人のためにお金を使う事が多くなった
・どうすれば関わった人が幸せになれるか考えるようになった
・自分を成長させるために自己投資するという考えが芽生えた
・社会貢献したいと思うようになった
・自分はやればできるん人間なんだという自信がついた
この中で自分でも驚いている価値観の変化は、
どうすれば関わった人が幸せになれるか考えるようになったということです。
これまでの人生は貧乏暇なしで人の事なんて考える余裕はありませんでした。
むしろ「自分さえよければそれでいい」という考え方だったと思います。
そんなゴミ思考の僕が、お金をつかんだらこんな考え方になるなんて。。
お金を稼ぐということは金銭的余裕ができるというメリット以外にも、心が豊かになるというシナジーがあるということに気づくことができました。
地獄の始まり
僕は浪費癖があったわけではないので、お金をつかんでも家や車などの大きな買い物は一切しませんでした。
そのかわり、
・会社を大きくしたい
・事業を成功させ社会的に認められたい
1店舗を運営するだけでも十分な暮らしをすることができましたが、当然そんなとこで止まろうと思うはずもなく。
手元資金が1000万貯まったところで飲食店の多店舗展開に乗り出しました。
そうと決まればまずは資金調達です。
飲食店出店がハイリスクであることは重々承知でしたし、多店舗展開するなら一気に出店攻勢をかけたかったので日本政策金融公庫に借り入れ交渉に行くことにしました。
独立してから1年ちょっとしか経っていなかったのでさすがに渋られるかなぁと思っていたのですが、年商が1億近くあったのが印象を良くし、合計1,000万の資金を借りることができました。
資金調達の次は業態開発です。
小林事務所時代に新業態の開発に携わったり、強豪調査で様々な業態を見てきた経験を活かしオリジナルの業態を作りました。
最初に作ったオリジナル店舗はこんな感じです。


(近くに千原兄弟の千原せいじさんがやっていたお店があって、よく店内を覗かれていました笑)
リスクを最低限に抑えるために小規模小投資で出店。
オープン当初からそこそこお客さんが来てくれ、初月から赤字を垂れ流すことはありませんでした。
オリジナル1店舗目が初月から赤字ではなかったことで調子に乗ってしまった僕は、間髪入れずに2店舗目を出店。
1店舗目はちょっとおしゃれな感じのお店だったので、今度はコテコテの居酒屋にしようと思いこんな感じの店を2店舗目に出店しました。


新たに出店したオリジナルの2店舗は大きくコケることなく、順調に売り上げを伸ばしていきました。
なにをやってもうまくいく。
このまま更に出店攻勢をかけ、ついに俺も有名飲食店経営者の仲間入りか?
この頃の僕は勘違い野郎になってしまっていました。
飲食店を多店舗展開すると人との付き合いも増えていきます。
有名な経営者や芸能人と会食する機会が多くあったのも浮かれる原因だったと思います。
完全に周りが見えなくなってしまっていました。
4店舗目出店で歯車が狂い始める
丁度このタイミングで僕が独立させてもらった某飲食企業から「もう一店舗新店をオープンしないか」という話をもらいました。
今回は既存店を譲渡するのではなく新規出店です。
この業態は初期投資が約4000万もかかってしまうので、2店舗一気に出店しキャッシュに余裕がない状況ではかなり危険な投資です。
冷静に考えれば断らないといけないところ。
周りが見えなくなってしまってる僕は「やります!」の二つ返事で出店契約を結んでしまったのです。
いっぱいいっぱいになってきた会社
この4店舗目の出店で、1年の間に合計3店舗出店したことになります。
オリジナルの店舗は赤字を出してなかったといえど、4店舗目の新店はさすがに赤字スタート。
利益を多くだしていたのは最初にもらった店舗だけです。
借り入れの返済や社員の社会保険料の支払いが多くなったこともあり、少しずつキャッシュが圧迫されていきました。
さらには無理な出店攻勢をかけてしまったため採用が追いつかず、社員に満足な休みを取らせてあげれない状態に。
社員はみんな向上心を持ってやってくれていたので直接不満を言ってくる子はこの時まだ一人もいませんでしたが、内心はもっと健全な経営をしてほしいと思っていたと思います。
飲食店の店長は現場にかかわるすべての事をやらなといけないので、精神的にも肉体的にもしんどかったと思います。
社員の一人が癌に
そんな状況の中でもみんな頑張って営業してくれていたある日・・
3店舗目の居酒屋を任せていた社員から相談があるので時間をくれないかと言われました。
少し嫌な予感がしながら後日その社員と会って話を聞いてみると、「左手が腫れて痛いので少し休ませてもらえないか」とのこと。
手を見せてもらうと、手の甲に石が入っているかのように腫れていてとても痛々しい感じでした。
すぐに病院に行くように伝え、検査の結果がでるまで店は店休にすることにしました。
数日後、検査結果を伝えられた時は頭が真っ白になりました。
ステージ4の食道がん。
まさか自分の会社の社員ががんになるとは。
しかもこれから一緒に大きくなろうとしていたときに。
がん告知された社員はすぐに入院しないといけなくなり退職せざるおえなくなりました。
もっと会社を大きくしてたくさん給料をあげたかった。
休みをしっかり取らせてあげてプライベートも充実させてあげたかった。
社員のみんなで海外旅行に行きたかった。
そう考えると涙が出てきました。
自分はなんて無能な経営者なんだと。
倒産寸前。一寸先は闇
ここから奈落の底まで転げ落ちるのはあっという間でした。
ギリギリの社員数でやっていたことがあだになり、がんになった社員がやってくれていた店舗は閉店せざる負えなくなりました。
それをきっかけに他の社員の不満が爆発。
休みを満足にとれていなかったこと。
店を閉店したことで会社に対する不安を感じ始めた事。
そしてなにより僕の経営方針に不信感を感じはじめた事で、次々に社員が辞めていくという事態に発展していきました。
社員が辞めれば店の営業ができない。
売上がない状態で店を存続させても固定費がキャッシュフローを圧迫する。
このままでは会社が倒産する。
断腸の思いで、立ち上げた3店舗をすべて閉店することにしました。
なんとか倒産は免れる
正直この時のことは思い出したくもありません。
食事がのどを通らず、食べないと体調を壊すと思って無理やり口に入れても食べることができない。
布団に入っても全く寝つけず、寝れたと思ったら1時間ほどで目が覚める。
ポジティブな方向に考えなくてはいけないと頭の中ではわかっていてもネガティブな事ばかり想像してしまう。
家族が路頭に迷ってしまうかもしれないという恐怖感。
相当なストレスを感じていました。
倒産だけは絶対に避けなければ。
指をくわえてまっていては倒産の二文字が待っているだけなので、日本政策金融公庫に追加融資の交渉へ向かいました。
幸い1号店の売り上げが右肩上がりだったことが評価され追加融資を受けることができ、最悪の自体を免れることができました。
最初の借り入れと一本化してもらい、合計1,800円の借金が残りました。
1つのビジネスだけをやることに危機感を抱く
この悲惨な経験したことでビジネスに対する考え方は大きく変わりました。
具体的には、
・1つのビジネスにとらわれるのは危険
・収入源をたくさん作りリスクヘッジをしないといけない
閉店した店舗のすべての処理が終わってからは様々なビジネスをリサーチし、飲食業と並行してできるビジネスを模索していきました。
現在進行形でやっているビジネス
現在は主に以下の3つのビジネスを行っています。
飲食業
独立したときにもらった店舗は今も運営しています。
かれこれ10年近くやっているのでお客さんもしっかりついていて安定しています。
社員とアルバイトで営業できる体制が整っているので、安心して他のビジネスに取り組むことができています。(みんなには感謝です^^)
もちろん過去の失敗があるので完全に任せておらず、週末など忙しい時は今でも現場に入っています。
アフィリエイト
飲食店を3店舗潰して危機感を覚えたとき一番初めに取り組んだのがアフィリエイトです。
今は2サイト運営しています。
近々新たに1サイト立ち上げようと思っています。
サイト作りに関しては自分の型が出来上がっているので、作るのにそんな時間がかかりません。
・どのようなテクニックを駆使してサイトを作っているのか
・他のサイトでは書かれていない僕が独自でおこなっているSEO対策
など、今まで培ってきたアフィリエイトノウハウをこのブログで惜しみなく書いていきたいと思います。
せどり
せどりは2020年1月からスタートしたので超後発組です。
まだ稼いでもいないのに言うのもなんですが、せどりは簡単に稼げるビジネスだと思います。
僕の中の「簡単」というのは「資金ゼロで即日稼げる」みたいな意味ではなく「やれば誰でも稼ぐことができる」という意味です。
せどりは参入障壁が超低いので多くの人が行っているとは思いますが未だに淘汰されていません。
人が多く参入していても稼げる数少ないビジネスだと思っています。
このブログでは、せどりに関することをメインで書いていきます。
・せどりで50万稼ぐにはどのくらいの労力と時間がかかるのか
・せどりをやりながら得た有益情報
僕がブログで情報発信する3つの理由
事実をしっかりと伝えていきたい
新しいビジネスを始める場合、まずブログやTwitter、YouTubeなどで情報収集すると思います。
その時「誰が作ったどのサイトを見るか」によってその後どのような成果が得られるかが変わってきます。
これは僕がアフィリをやり始めたころの経験なのですが、情報弱者を食い物にするようなサイトに引っかかり内容が薄っぺらい高額教材を購入してしまったことがあります。
その時思ったのが「こんなんで金儲けして楽しいのかな?もし自分が情報を発信するようになったら、ありのままを伝えていきたい。」ということです。
ブログなんて発信者の都合のように書くことなんていくらでもできます。
ユーザーファーストではないコンテンツは存在価値がないと僕は思っています。
せっかく情報を発信するからは、事実をしっかり伝えていきたいと思います。
アウトプットすることで自分自身もレベルアップしていきたい
僕は常にビジネスマンとして成長したいという気持ちがあります。
インプットする事はもちろん大事ですが、それ以上にアウトプットが大事だと考えています。
インプットだけを行っても自己成長する事はできません。
飲食店でいうと在庫ばかり抱えて料理を提供していないのと同じです。
アウトプットすることで、知識が記憶に残る⇒それが現実になり行動も変わる⇒自己成長する、というスパイラルになります。
学んだ知識や実際に行動した内容をこのブログでアウトプットしていき、僕自身「次のレベル」にいければと思っています。
お金を稼ぎ価値観を変えてもらいたい
超貧乏だった時代に比べると、僕は今のほうがはるかに幸せです。
僕がお金をつかんでどれだけ価値観が変わったのかは先ほど触れました。
もちろんお金がすべてではないですし、お金がなくても幸せになることができるという主張も理解できます。
ただお金を稼いだことがない人がそれを言うのは、ただの綺麗ごとだと思っています。
お金を稼ぐという行為はお金を得るだけでなく、今まで自分が持っていなかった知識を身につけることもできます。
知識は一生ものの財産です。
このブログでは僕が培ってきたノウハウを惜しみなく提供していきます。
記事の内容を参考にして頂くことで読んでいただいた方の収入が増え、人生が良い方向にいく手助けに少しでもなればと思っています。
【おまけ】もはや飲食業に未練はないのか
実はまだ飲食の世界でもう一度勝負してみたいという気持ちがあります。
死ぬほど負けず嫌いなので敗北を喫したまま死にたくありません。
もともとは生粋の飲食人なので飲食業界に爪痕を残したいという気持ちは常にあります。
今までにない面白い業態を世に出せるという自信もあります。
すでにひそかに構想を練っていて店舗コンセプトや屋号は決まっています。



構想している業態は居酒屋などのお酒を扱う業態ではなくて「餅を使ったスイーツのテイクアウト業態」。
店内でついたお餅を使った斬新なスイーツを提供しようと思っています。
また、この業態をやる意味として、
・お餅つきの楽しさを世界に広めたい
・インバウンド客に向けたビジネスを展開したい
タイミングをみて本格的に動きだすつもりなので、機会があればこのブログで報告します!